プロジェクトリーダーから(TRONWARE VOL.94)
- 哲学を重視する欧州への広がり
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オランダからちょうど帰ってきたところである。昨年から今年前半まではアジアへの出張が多かったが、最近はヨーロッパ関係の出張が増えてきた。その最大の理由としては、T-Engine、T-Kernelが着実に世界に広まり開発プロジェクトが進められているからだ。T-Engine、T-Kernelを実際に使っている方々との懇談もあったが、今回の訪問はオランダ政府から招待されたもので、世界で最も進んでいて活発に活動しているT-Engine、T-KernelやユビキタスIDセンターの話を直接聞きたいと要請があり、シンポジウムに参加してきた。シンポジウムはオランダ政府主催で、政府関係、産業界、大学関係者などが来てたいへん盛り上がった数日間であった。私の活動については反響も大きく、ユビキタスで最先端を切り開いていると感じてもらえた。その後発表を受けてT-Engineフォーラムに参加してくださる方もあり、たいへん良い交流になったと思う。
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ところで、ヨーロッパでつくづく感じたことであるが、“Ubiquitous Computing”は、故Mark
Weiser氏が初めて使った「言葉」ではあるが、もはや日本においては英語でもラテン語でもなく日本語化した「ユビキタス」になってしまっている。トレーサビリティや自律移動支援プロジェクトは、Weiserの唱えたUbiquitous
Computingとはだいぶかけ離れている。“Ubiquitous”以外にも、似た言葉として“Pervasive”や“Invisible”、“Calm”、そして“Intelligent
Environment”、“Ambient
Intelligence”、あるいは単純に“Smart”とも言う。その中でなぜ、私が「ユビキタス」という言葉を広めたかというと、残念なことに日本語は世界語にすることはできず、また日本人が世界に通じるうまい「英単語」を思いつくわけはない。そこで他の色が付いていなくてカタカナにしたときに読みやすい単語として「ユビキタス」を選んだのだ。同じような考え方が数多くある中で、どういう点に注目するかにより言葉の使い方が変わってくる。ヨーロッパでは、日本と逆に“Ubiquitous”に付いた宗教色がわかるせいか――もちろんUbiquitousもPervasiveも通じるが――何を使っているのかというと“Smart”が多い。“Ambient
Intelligence”はEUの支援するプロジェクト名であるのでよく使われている。オランダの会議のタイトルも“How smartis
smart?”というくらいである。
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そしてさすがヨーロッパと思わせるのは、ボトムアップよりもトップダウンのアプローチを重視する姿勢。「こういうことをしたらスマート=高機能になる」、「環境全体の知的化について」。その結果我々の生活がどうなっていくかを考える等々、哲学、思想がある。テクノロジーと人間がどうつきあっていくのかから始まり、高機能化と人間の関係など話題は尽きることなく議論が進む。ヨーロッパは人口の高齢化が速く進みつつあるため、高齢化社会についても極めて理解が深く、自律移動支援プロジェクトについても、「日本は世界で最も早く高齢化社会を迎え、高齢者や障害者が増加するためやっている」と言ったら拍手が来た。考え方、流れ、哲学、どうして、そのようなことをやるのか。シュリンケージ減少とサプライチェーンマネージメントの効率化だけとは異なる高度な哲学的議論ができるのがヨーロッパだと感じた。
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私は1989年秋、東西の壁が崩れた直後のベルリンに行き、電脳住宅や電脳ビル、電脳都市、つまりインテリジェント環境について数日間にわたる密度の濃いセミナー/シンポジウムに招待され、講演や議論を行った。当時から欧州の人々は我々の仕事に極めて興味を示し、さまざまな問題点を指摘すると同時に、ともに未来について真剣に考える姿勢が印象に残っている。Scientific
American誌1991年9月号に掲載されたWeiserの“The Computer for the 21st
Century”が「ユビキタスの原典」として扱われることが多いが、その約2年も前の出来事である。そう、欧州は、80年代後半から生活と密着したインテリジェント環境について強い興味を示し、研究が芽生え始めていたのである。今回もそのときと同じような哲学を重要視する姿勢を感じた。ただ逆に言うと頭でっかちで、実施例はあまりないようだ。さらに、生活環境の改善についてはヨーロッパの人々は特に興味があるのて、新開発の電脳住宅PAPIの紹介は大好評だった。
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もちろんヨーロッパ地区でも哲学ばかりに終始するのではなく、T-Kernelの実用的応用が盛り上がり始めている。組込み関係はアジアが重要ということで、我々はまず、中国、韓国、ベトナム、台湾、シンガポールなどに開発センターなどを置いてきた。韓国は、現地の法人の活動が活発になってきて、世界に広がり始めてている。そして今年はいよいよヨーロッパでの普及の年。忙しいが、世界に考えが広がっていく実感には大きな充実感がある。
坂村 健
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