『ターミネーション・ショック』を語る
坂村 健 東京大学名誉教授
聞き手:編集部
既刊の気候変動フィクション『未来省』(キム・スタンリー・ロビンスン著)に続き、『ターミネーション・ショック』の解説を執筆いただいた坂村健 東京大学名誉教授に、この本について改めてお話を伺った(編集部)。
世界の“共通言語”から取り残されないために
―― 坂村先生には、2023年にパーソナルメディアから刊行した『未来省』に続いて『ターミネーション・ショック』も翻訳出版の企画をご提案いただき、今回の刊行が実現しました。
どちらの作品も、欧米では気候変動をテーマにした重要な作品として大きな話題になっていたにもかかわらず、日本ではなかなか翻訳の動きがありませんでした。欧米の知識人たちが何を読み、何を考えているのか。その共通認識から日本だけが取り残されてしまうことに、強い危機感を覚えたのがきっかけです。
―― 日本だけが取り残されてしまう危機感について、もう少し詳しく伺えますか。
たとえば、かつてインターネット社会の到来を予見したジョン・ブラナーの『衝撃波を乗り切れ』(原書:1975年刊)という作品は、欧米ではネットワークの未来を語るうえでの必読書とされていますが、邦訳が出版されたのは8年後の1983年です。結果として、世界がインターネットの未来について議論を深めている中で、日本はその会話に乗り遅れてしまった感がありました。
今回の『ターミネーション・ショック』や『未来省』も同様です。今まさに人類が直面している危機に対して、海外では多くの知識人がこれらの作品を読み、真剣に議論しています。しかし日本では、翻訳が出なければその議論に参加することさえ難しい。
この状況が続けば、気候変動対策という世界的な課題について、世界が共有する未来へのビジョンや危機感から日本だけが取り残され、気づいたときには世界標準のルールや考え方から大きくズレてしまう。私が懸念しているのは、SFという媒体を通じて行われている、そうした未来を巡る重要な対話への“参加資格”を、日本が失ってしまうことへの危機感なのです。日本でも、最近「SFプロトタイピング」と言って、SFが未来への意思決定の一助になるという考えが出てきていますが、『未来省』や『ターミネーション・ショック』はまさに、それだと思います。
「体質改善」の『未来省』と「対症療法」の『ターミネーション・ショック』
――『未来省』も『ターミネーション・ショック』も、同じCli-Fi(気候変動フィクション)として知られていますが、どのようなアプローチの違いがありますか。
この二つの作品は、同じ気候変動SFというジャンルにありながら、そのアプローチは実に見事なまでに対照的です。『未来省』が根本的な原因を時間をかけて解決しようとする「体質改善」の物語であるのに対し、『ターミネーション・ショック』は、まず目の前の危機を乗り切るために副作用のリスクもあるような強力な薬を投与する「対症療法」の是非を問う物語だといえます。
『未来省』は、国連の補助機関である「未来省」を舞台に、経済システムや国際政治、科学技術といった変革を通じて、30年という長い時間をかけて気候変動の危機から再生への道筋を描く、いわば「歴史書」のような作品でした。ですから、際立った主人公はおらず、世界を動かすのも官僚やNPOスタッフといった無名の人々です。
一方『ターミネーション・ショック』は、テキサスの破天荒な大富豪やオランダの女王といった「カリスマ」を持つ個人の決断と行動が、世界を動かす原動力として描かれます。個人の視点から、わずか1年ほどの間に世界がどう変容していくかを描く「神話」的な物語といえるでしょう。
地道な「体質改善」にはシステム作りが鍵となりますが、リスクのある「対症療法」には、一点突破のための「カリスマ」とその「物語」が必要になる。その対比が、この二作品の最も大きな違いであり、魅力だと思います。小説としては、客観的な印象を受ける『未来省』に対して、『ターミネーション・ショック』のほうが人間的なアクションありロマンスありで、とっつきやすいかもしれません。
―― 著者のニール・スティーヴンスンは、『スノウ・クラッシュ』で“メタバース” という言葉を生み出したことで、日本でもよく知られています。
スティーヴンスンは現代SFを代表する、最も野心的で壮大な作品を書き続ける作家の一人でしょう。彼の名を一躍有名にした『スノウ・クラッシュ』と“メタバース”という言葉は、彼の作風を象徴しています。
彼の真骨頂は、私が「古典のハッキング」とよんでいる手法にあります。過去の物語、たとえば古代神話や特定の文学ジャンルを解体し、未来的なテクノロジーが社会を根底から変える世界の中で再構築するのです。『スノウ・クラッシュ』では古代シュメール神話とコンピュータウイルスが結びつけられましたし、『ダイヤモンド・エイジ』ではヴィクトリア朝の少女成長小説の構造が使われています。
この『ターミネーション・ショック』でもその手法は健在で、気候変動という現代最大の危機を、古代神話の神々の争いや、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』を下敷きにした壮大な「物語」として描き切っています。その作風は、一つのテーマを掘り下げるというより、関連するあらゆる知識を織り交ぜていく「百科全書的小説」とも言われるスタイルです。このスタイルを確立したのが、まさにハーマン・メルヴィルの『白鯨』で、多層的な構造と深い象徴性を実現したことで、西洋の小説の最高峰とまでいわれています。『ターミネーション・ショック』でも、メカ好きにはたまらない詳細な技術解説が延々と続いたかと思えば、突然シク教の武術の話が出てきたりする。いろいろな話題が少しずつ進んでいくので、こういう西洋的な教養を前提とした「百科全書的小説」のスタイルに慣れていないと、最初は戸惑うかもしれません。
“ターミネーション・ショック” が意味するもの
―― 書名になっている「ターミネーション・ショック」という言葉は、何を指しているのですか。
「ターミネーション・ショック」というタイトルは小説の核となるテーマそのものを指し示していて、本書で描かれるソーラー・ジオエンジニアリングのような気候への人為的な介入策を、急に停止(ターミネーション)した際に起こりうる、破滅的な気候の反動(ショック)のことです。
ジオエンジニアリング(地球工学)は、地球の気候を人為的に操作する技術全般を指す言葉です。ソーラー・ジオエンジニアリングは、成層圏に二酸化硫黄を散布して太陽光を反射させ、地球の温度上昇を抑えるという、即効性のある「対症療法」ですが、根本的な原因である大気中の二酸化炭素を減らすわけではありません。特にソーラー・ジオエンジニアリングのような直接的介入は、アレルギー症状に対し強いステロイド剤で抑え込むような─ある意味「劇薬」で「ターミネーション・ショック」が起きやすいといわれています。
もしこの対策を一度始めてしまうと、地球環境がその効果に依存することになります。そして、何らかの理由で硫黄の散布を急にやめてしまえば、抑えられていた温暖化が一気に進み、気温が数年で急激に上昇するという、壊滅的な「ショック」が地球を襲うことになるかもしれないわけです。つまり、一度手を出したら後戻りできないというこのジレンマこそが、この物語の中心的なテーマであり、タイトルはそれを象徴しています。
「百科全書的小説」の楽しみ方と、現代のための“神話”
――『未来省』について、「教養がたっぷりと詰め込まれた小説で、読み手の意識・知識・教養・洞察力に応じていろいろな理解ができるのも魅力」とおっしゃっていました。『ターミネーション・ショック』ではどうですか?
『ターミネーション・ショック』は、その点で『未来省』以上に、読み手の教養や関心事が試される小説かもしれません。
この作品は、一つの大きな物語の縦糸に、関連するあらゆる知識を横糸として織り込んでいくスタイルで書かれています。たとえば、物語の背景には、ソーラー・ジオエンジニアリングの技術的な詳細から、インドと中国の国境紛争、オランダの治水思想、シク教の文化や武術に至るまで、非常に多岐にわたるテーマが盛り込まれています。
西洋の教養、いわゆるリベラルアーツを身につけていないと、最初のうちは少し苦しいかもしれませんが、それがこの小説の魅力でもあるのです。たくさんのトピックが少しずつ展開されていくので、読者がその中から自分の興味を引く何かを「とっかかり」にして、読後に気になった単語を検索したり、背景を調べたりすることで、さらに視野が広がるような、知的好奇心を刺激してくれる作品です。読み手の意識や知識に応じて、さまざまな顔を見せてくれるでしょう。
――『ターミネーション・ショック』では、冒頭からなかなか迫力あるストーリーが展開しそうです。
まさに冒頭から映画のような、読者を一気に引き込む展開ですね。ただ、その最初の部分で、テキサスの狂暴な野ブタの来歴や生態、あるいはその捕殺事業の詳細といった─まさに『白鯨』的ディテールをはさんで延々と続き、話がどう転がるかわからず不安になるかもしれません。それはそれとして面白がれるかが、この本を読むためのコツでしょう。
スティーヴンスンは、『白鯨』を下敷きにしていると同時に、この物語の登場人物たちを、意図的に神話の原型(アーキタイプ)に重ね合わせているように思います。このあたりの「古典のハッキング」が、スティーヴンスンの真骨頂です。
オランダ女王サスキアは、豊かな地上の国の女王でありながら、海面上昇で水没の危機にある国々の運命を背負うことになる。まるで、望まずして冥界の女王となったローマ神話のプロセルピナ(ギリシャ神話のペルセポネー)のようです。
ハンターのルーファスは、野ブタに家族を奪われたことで、メルヴィルの『白鯨』のエイハブ船長のような、壮絶な復讐の「物語」を生きている人物です。同時に、古典を諳んじるほどの教養も併せ持っている。故郷を失い荒野をさまよい、さまざまな苦難の末に帰還する英雄ユリシーズ(ギリシャ神話のオデュッセウス)のようでもあり、女神であるサスキアを導く騎士のような役割を担っていきます。
そして、彼らをプロジェクトに引き込んで、物語の歯車を大きく回すのが、テキサスの大富豪T.R.です。彼は、自らの工房で地球の気候を「修理」するための巨大な大砲を鍛え上げる、現代の技術の神ウゥルカーヌス(ギリシャ神話のヘーパイストス)――この神様については、英語読みの「ヴァルカン」のほうが有名でしょう。
絵画の片隅に描かれた事物─地球儀や枯れた花などに、道徳的、宗教的、あるいは哲学的な教訓や抽象的な概念を象徴的に表現するという、寓意画というジャンルが西洋古典にあります。
本書ではサスキアが「女神ケレス(プロセルピナの母神)」の古い絵を見るシーンや、ルーファスが叙事詩『イリアス』(ユリシーズの帰還を描く『オデュッセイア』の前日譚)を諳んじるシーンなど、さまざまなヒントがちりばめられていて、登場人物のアーキタイプを読み解くというのも一つの読み方かもしれません。
このように、人間的で猥雑さもある古典神話の神々のような、強烈なカリスマと「物語」を持った人々が、気候変動という巨大な問題を前にしてどう動くのか。それがこの小説の大きな醍醐味になっています。
未来を選択するための対話への“招待状”
――『未来省』も『ターミネーション・ショック』も海外では両者を比べて論じられることも多いようです。日本において、この二冊の翻訳書がそろうことになります。
『未来省』が正攻法の「体質改善」の物語で、解決までに30年という長い時間がかかったのに対し、『ターミネーション・ショック』は、副作用のリスクを承知で、まず目の前の危機を乗り越えようとする緊急避難的な「対症療法」の是非を問うています。
気候変動の進行がこれだけ速まっている今、理想的な「体質改善」だけを待っていては間に合わないかもしれない、という切迫感が世界にはあります。一方、「対症療法」であるソーラー・ジオエンジニアリングは、温暖化は止められても、穀倉地帯が干ばつになり飢饉になるなど、いろいろな副作用が考えられます。しかも、一度始めたらやめられない「ターミネーション・ショック」という本質的な危険性をはらんでいる。
この二冊は、問題解決への異なるアプローチを提示しています。『未来省』で描かれる「システム」で解決を目指すのか、あるいは『ターミネーション・ショック』で描かれる個人の「カリスマ」と「物語(ナラティブ)」が世界を動かすのか。
どちらが正しいという単純な話ではありません。この両極端の選択肢を突きつけられることで初めて、現実的で切実な議論ができるようになるはずです。この二つの作品がそろうことで、日本の読者が気候変動という危機に真摯に向き合い、自分たちの未来のための「物語」を考えるための力強い土台となることを願っています。
――『未来省』の読者評の中には、「最初に坂村先生の巻末解説を読んだので、見通しを持って最後まで読み切ることができた」といったものもありました。
そう言っていただけるとたいへん嬉しいです。本書も、一つのテーマを深く掘り下げるというより、多くの話題が百科全書的に少しずつ同時並行で進んでいきますが、「自分には関係ない」と本を閉じてしまうのは、あまりにもったいない。
巻末解説は、そうした読者のために「ちょっと待ってください」と呼びかけるつもりで書きました。この物語がどのような構造を持っていて、一見バラバラに見える知識がどうつながっていくのか、その全体像を先に示すことで、少しでも読み進めるうえでの助けになれば、と考えたのです。もし途中で苦しくなったら、先に解説を読んでいただくことで、この複雑で、しかし非常に重要な物語を最後まで楽しむための一助となればと思っています。
―― 最後に、日本の皆さんにこの本を読むことを勧めていただけますか。
この小説は、決して簡単な読書体験ではないかもしれません。それでもなお、私はこの本を、今の日本の皆さんに強くお勧めしたいのです。気候変動は、もはや遠い未来の危機ではありません。この小説が突きつけてくるのは、私たちがまさに体験している緊急事態に対して、「理想論だけを待っていては手遅れになるのではないか?」という、非常に不都合で、しかし目を背けることのできない問いです。
成層圏に二酸化硫黄を撒くという「対症療法」は、多くのリスクをはらんだ危険な賭けかもしれません。しかし、世界が燃え尽きるのをただ待つのではなく、「誰かがハンドルを握らなければならない」という作中の言葉は、重く響きます。
この本は、単なるSF小説ではありません。気候変動という人類史的な危機を前に、私たちがいかなる「物語」を語り、それを支えに、いかなる決断を下すべきかを問う、現代のための「神話」であり壮大な思考実験です。
「体質改善」の『未来省』と「対症療法」の『ターミネーション・ショック』。この二冊を読むことで、私たちはこの複雑な問題を、ようやく立体的に捉えることができ、考えたり議論したりできるようになるでしょう。両書は、私たちの未来を選択するための、重要な対話への招待状なのです。